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スーパー・スターの誕生

2006.07.19|カリスマSE体験談 このエントリーをはてなブックマークに追加Yahoo!ブックマークに登録この記事をクリップ!BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク

昭和58年3月15日午後1時、『マルチステーション5550』の新聞発表が東西で同時に行われた。電通のクリエイティブの人たちに5550の狙い、機能などを説明する中で、オンラインの端末、パーソナル・コンピュータ、ワード・プロセッサーの3つの機能を1台で処理できるということから、『一台三役』をキャッチ・フレーズに宣伝活動を展開しようということになった。このキャッチ・フレーズはこの年の流行語となり、『一台五役』、『一台七役』などが登場した。このことはとりもなおさず、元祖『一台三役』が大当たりをとった証拠でもあった。 製品番号にも恵まれた。5550の5は、Go(ゴー、いけいけ)と語呂もよく、『ゴー、ゴー、ゴー、オー』と勢いよく誕生した。 

5550の発表は、日本IBMの中でいろんな変革をもたらした。最も大きな変化は、宣伝、広告であった。とくに、テレビのコマーシャルに渥美清が登場したことである。頭にライトブルーのソフト、首からは真っ青のマフラーを垂らし、ダブルのスーツに包まれ、ソファの上に横向きで足を投げ出したポーズは、意味を理解するのに窮した。 5550の登場期には『友よ。機は、熟した。』であった。普及期には『友よ。やさしさに、脱帽だ。』が考えだされた。システムとしての使い易さ、操作の容易さ、そこに訴求ポイントを絞り込む。そして最後に『友よ。流れは、決まった。』で仕上げた。 販売方法も従来の製品とは大きく異なることであった。契約書や保守の方法も異なり、国産他社の製品を勉強した。

OAセンターを開設し、デモンストレーションでお客様へ訴える方法も5550 からである。OAセンターでデモをしながらOAセミナーを開催し、営業を支援した。  製品の管理情報システムも大型機のそれでは処理コストが嵩み過ぎて、新しいシステムを開発する必要にも迫られた。その他、代理店制度も考えねばならず、こうした変革の時代に関与できたことは非常に幸せであった。

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