よもやま話 サウジアラビア出張編 ~続き~
Chapter3. オシロスコープ
唯一の救いは、CPU、ディスク装置など一切合財持ってきた中にあった念のためにと入れた保守用マニュアルでした。 「何かできるかもしれない」と思い、打ち合わせの後、マシン室でシステムを触ってみた所、CPUは正常に動作しており、アプリケーションも問題なく動作し、ディスクへの書き込みにもエラーは見つかりませんでした。
しかし、再度ディスク装置を読むと、書き込んだはずのデータがすべて消えている事がわかりましたが、それと同時に、物理的なダメージや、データのリードライトエラーが発生しているわけでは無く、それほど致命的な問題ではないと言う事もわかりました。 問題箇所を特定するために、マニュアルの回路図を追って動作を確認しなければならなくなり、手持ちには無いオシロスコープのような測定器が必要になったのですが、幸運なことにお客様の担当の方が、「それじゃ発電プラントに電気技師がいるから測定器がないか聞きに行きましょう」と言ってくださり、測定器を無事、拝借できました。
いろいろとあたりをつけ、ひょっとすると!と思いCPU内のディスクコントローラのDC+5Vの電圧を測定すると、規定値より低くなっていました。これが原因で書き込み電流を流す際にWRITE GATE信号がデジタルでONにならず、電流が流れないことがわかり、故障ではなく、コントローラの電圧が問題だった事がわかりました。
そして新入社員の研修で先輩エンジニアから教わった、ハードディスクドライブ装置やディスクコントローラの回路ロジックの知識、内部の仕組みを理解していた事で無事、障害を復旧することができたのです。教えてくれた先輩には帰国後、感謝感謝のお礼をしました。(今でもたまにお酒を飲むとその話題で盛り上がります。) しかし、サバイバル出張はこれで終わったわけではなかったのです。
Chapter4. ステイ
一緒に東京から来られた業務部長は、サウジアラビアのディーラの本社のあるリアドに出向き、状況の把握、今後のスケジュール等営業的な話をつけてきました。お客様がセコハン(中古)のマシンと騒がれていたのは、ラマダンの通関が日中機能しないため、納品が遅れ、ディーラの持ち物であるマシンを代納して本番機が到着するまで待ってほしいということだったのです。私は、ひとり本番マシンの到着を待ってシステムが動作するのを確認してから一人で帰国という入社2年目にしてはなかなか大変な出張になってしまいました。
数日後、マシンがデリバーされてくると、またもや問題発生!再びディスク装置です。 東京の事務所で事前に作成したアプリケーションを持参していたのですが、そのリムーバルディスクパックの読み取りエラーが発生して読み込めなかったのです。 当時のハードディスク装置は、現在のようにシールドディスクではなく、データ交換のためにリムーバルディスクがディスクパックとして可搬できるようになっていました。 そのため、マシンごとにディスクヘッドの位置を基準となるアライメントパックと、オシロスコープで調整する必要があり、これによりディスクパックはポータビリティを確保していたのです。
しかし、東京の事務所のから持ってきたディスクのアライメントがずれていたのか、入荷したディスク装置のアライメント調整がずれていたのか、読み取りエラーになってしまいました。ディスク装置については調整用のアライメントパックも調整用のディスクエキササイザーも手元には無いため、結局、100Kmほど離れた町にあるWang社の現地ディーラまで車を飛ばし調整に必要な機材一式を調達する事になりました。 見知らぬ土地を100Km横断し、現地のダイレクタと交渉して機材を借用し車に詰め込むと、また来た道をプラントに向けて車を飛ばしました。
プラントに到着すると、10MBの容量、14インチにもかかわらず一人では運ぶには重過ぎるハードディスク装置を二人でマシン室に運び込み、イスラム諸国では祭日にあたる金曜日でしたが、もうひとりいた担当者と私は2人で、マシン室で悪戦苦闘し、何とかディスク装置の調整をあわせることができました。
Chapter5. 帰国
3日で帰れると言われて来たサウジアラビアは4日、5日、一週間と過ぎ、滞在ビザの有効期限ギリギリになっていました。お客様から半分冗談、半分本気で一言「なんだったら一度出国してどこか国外で再度入国ビザを取って戻ってきてもOKですよ」と言われたのを覚えています。その言葉に奮起し、2週目の最後には何とか仕事を終わらせました。 無事帰国した今でも感謝を表すアラビア語“シュクラン”と、耳に残る“イン・シャッ・アラー(アラーの神の御心のままに)”は私の記憶の中に刻まれています。




