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基盤ソフトウェア研究 (その4)

2008.02.22|オープンソースソフトウェア このエントリーをはてなブックマークに追加Yahoo!ブックマークに登録この記事をクリップ!BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク

さらに続く。

【何が起こったのか?  正統性】

「今日のPhDたちはUnix、X、Emacs、TeXを使う。それが彼らの世界だ。でも、単に実務で使ってきた環境ではないか。20年前の学生たちは、個性のある多様なOSを使っていた。今や、我々の研究所の新採者は使い慣れた環境を持ち込むか、当然あるものと思ってくる。新しい研究所に入るということは新しい働き方を探求するチャンスであるはずなのに。経験の狭さは創造力の狭さへとつながる。プログラミング言語に関しての状況はもう少しマシだ。多くの関数言語などへのカリキュラムがある。しかし、C++とJavaが言語の正統派だという認識がある。科学においては、自分たちが間違っているということを証明しようという人が賞賛に値する。しかし、コンピュータサイエンスにおいては。。。」

【何が起こったのか?  規模の変化】

「多くの外的制約、多くの既存成果を前に、面白い仕事をやろうと思うと大規模なパワーが必要となる。現代的で現実的なシステムを作ろうと思うと多くの人月が必要となる。そんなことはほとんどの大学においてはスコープ外である。設計から最終版まで5年かかるというように、かかる時間も長くなる。でも、そんなことはほとんどの学生にとってはスコープ外である。その結果、OSやインフラなどのでかい仕事は企業がやるようになり、小さな研究グループは手ごろな小さい仕事をやるようになった。」

「結果は3つのトレンドである。(1) 作らない。計測するだけ。新規開発でなく、現象論なのだ。 (2) 幅広くやらない。深さのみを追求する。システムとして動かない特殊で微細なものを追求している。 (3) 既存のものをもってきて、カスタマイズ。」

はぁーーーっという、深いため息が聞こえてきそうである。

【何が起こったのか?  Unix】

「今日の新しいOSはUnixの再実装に過ぎない。もし新しいアーキテクチャを作ったとしても、そこで最初に作られるのはUnixのエミュレータだ。その結果のOSがすべて区別できないくらい差異がないなら、OS研究は意味がない。70年代終わりから80年代初めにかけて、もう誰も他のOSをやろうとしないので、UnixがOS研究を抹殺したという議論があった。当時、私はそうは思わなかった。今や、しぶしぶではあるが、その主張を認めざるを得ない。マイクロソフトはそうは思わないだろうが。」

「成功の影に犠牲あり。移植容易性は遍在性を招いた。アーキテクチャは問題でなくなり、たった一つのアーキテクチャで済むようになったのである。Linuxはホットで新しい。しかし、もう一つのUnixに過ぎない。」

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