ITよもやま話 金融事業会社 ~Sunとの出会い(前編)
Chapter1. 金融事業会社(CTCファイナンシャルエンジニアリング)時代
前回、掲載させていただいたDataLogic社とは2年ぐらいお付き合いをし、弊社の再編で1989年に伊藤忠データシステムは伊藤忠テクノサイエンス(CTC)に経営統合され、同時にインダストリや特定ビジネスに特化したいくつかの事業会社を設立しました。
旧伊藤忠データシステムの金融システム部門は、CTCファイナンシャルエンジニアリング(以下CTCFE)という金融マ-ケットを専門に担当する事業会社へ全員が出向し、総勢50名にも満たない営業会社での再出発となりました。
当時、SEは別の子会社に集結してその中に金融を担当する部隊がいたため、発足時のCTCFEにはSEが私しかおらず、よろず何でも相談をやっていたような気がします。その中でも私にとって印象深いのは、FA(ファクトリオ-トメ-ション)分野でローコストなCADに利用するために取扱いをしていたSunのEWS(エンジニアリングワークステーション)を今後は、ビジネス分野で販売するという社長の一言(初代社長はCTCの佐武が兼務)でSunの販売を開始したことです。DataLogic社のトレ-ディングシステムのジャパナイゼ-ションでの経験を活かし、CTCFEもSunの販売を開始しました。
とはいうものの当時は現在のように商用のアプリケーションパッケージはほとんどなく、金融向けのビジネスアプリケーションの開発のために「Sunワークステ-ションのOSはUCLAバークレイ校でBill Joyが開発したBSD系UNIXで、開発言語はC言語を使ってください。 グラフィカルユーザインタフェースはSunViewというグラフィカルユーザインタフェース(GUI)を使います。標準でイーサネットを装備してネットワークコンピューティングを実現するためにsocket通信でコーディングするように!以上おしまい!」というようなビジネスアプリケーションがほとんどない状態でスクラッチで開発しなければならず、大変な思いをして開発を行っていました。
私のUNIX歴は、DataLogicを担当していた時にDECのMicroVAX-IIに搭載されていたUltrixというUNIXに触れたのが初めてで、トレーディングシステムの構成管理や通信制御系のパッケージソフトの環境構築やSun3/60というモトローラの32bitCPUであるMC68020を搭載したSunワークステーションで当時、ウォールストリートに流れ込んだNASA出身のロケットサイエンティストたちが開発したリアルタイムトレーディングシステムのデモ環境を、見よう見まねで構築した程度でした。
それに対してCTCFEでは、本格的にSunのビジネ分野向けに拡販するため、CTCの技術サポート部隊からから手厚い支援を受けながら本格的にUNIX/Cによるビジネスアプリケーションの開発をスタートしました。当時は、SunのGUIは、SunviewというSun固有のGUIで、マイクロソフトのWindows3.1やUNIXのGUIで一斉を風靡したXwindowが日本へ広まって行くのはもう少し後になります。
Chapter2.SunベースのディーリングプラットフォームDP9の開発
Sun上で本格的なビジネスアプリケーションを開発したのは、証券向けディーリングシステムを作ったのが最初でした。当時、競合各社はメインフレームやミニコンをベースにしたものが多く、オープン系では某社がStratusとSunを組み合わせて開発したディーリングシステムが有名でした。弊社としては同様のハードウェアを取り扱っていたのですが、せっかく後発でスタートするなら従来と違うシステムにしよう、という営業の一言でほとんどがSunのワークステーションで動かすシステムを開発することになりました。
しかし、UNIXや通信制御系、ディーリングプラットフォームの技術は多少あっても証券業務系のノウハウが乏しかったため、ある証券会社のシステム子会社と業務提携して共同開発することになりました。システム名はディーリングプラットフォーム9(略称DP9)(本当は「銀行系ディーリングシステムだったら丸の内風雲児」、証券系ディーリングシステムだったら「兜町風雲児」という候補もありましたが却下されてしまいました。) 各種情報ベンダーや証券取引所の金融情報を受信してLAN上に配信するためのデータ加工をするDFS(データフィードサーバ)、株式の最新価格や四本値をメモリレジデントでキープし、クライアントからのリクエストに対して最新のプライスを提供を行うSDBS(システムDBサーバ)、ユーザアプリケーションで必要なリレーショナルデータベース(UDBS)、クライアントワークステーションとしてのUB(ユーザベンチ)、システム管理者向けのコンソール機能としてのSB(システムベンチ)、各種リアルタイムデジタルフィードの通信プロトコルに柔軟に対応するために開発したDFB(デジタルフィードボード)などのコンポーネントから構成され、これらのアーキテクチャは修善寺の保養所に数日間合宿して設計しました。
私がもっぱら担当したのは、デジタルリアルタイムフィードの受信インタフェースとしてタイムシェアリングOSであるUNIXではブロードキャストで大量のリアルタイムデータをロストなく受信するには不向きということでリアルタイムOSと呼ばれる制御用コンピュータやロボット制御で利用されるOSを産業用のボードコンピュータに搭載してさまざまな通信形態で提供される各種情報ベンダーや証券取引所等の高速デジタルフィードをデータロストなく受信してTCP/IPで確実にSunベースのDFSに渡す役目を持つDFBの開発と、アプリケーション用に加工した金融データを即時性を確保するためにイーサネットのブロードキャスト(同報通信)とクライアントでデータ喪失が発生した場合のリカバリ通信のメカニズムをそのようなアーキテクチャで行うかなどデータ配信のためのアーキテクチャ全般でした。
このプロジェクトでは、パッケージ部とアプリケーション部が本来は、別々に開発すべきところを、いきなり、ある準大手の証券会社のお客様から受注してしまい、同時進行で行われることになってしまいました。おかげで、設計から実装、テストまでは、突貫作業になってしまい、後半は、かなりの業務アプリ系の遅れが重なり、一部のメンバーは会社に寝泊りする状況が続くなど大変な状況になりました。
私も、たまたま、土曜の深夜に一人で青山の伊藤忠ビルで作業していると、日曜日の深夜3時ごろに兜町の共同開発パートナーの技術支援に行っていたCTCのSunの技術サポートのマネージャーから、「今から様子見に来ないか?」とお誘いの電話を受けて早朝4時ごろにビルを出て(当時、伊藤忠ビルの守衛さんとは顔見知りになるほどよく会社にいました。)夜明けの兜町に出向き、そのまま数日間、家に帰れないという状況も多々ありました。
続く・・・




