誰でもわかる“パソコン”
こんなタイトルをつけてしまったが、いくらなんでもパソコンの解説はいまさら不要で、「ユーザの感じるパソコンのあるべき姿」、という意味でカッコ付きの“パソコン”というタイトルにした。
よく考えると、パソコンとは便利だが納得のいかない道具である。というのは、パソコン本体は場所だけとって、何の役にもたっていない箱に見えるからである。ノート型はまだ許せるにせよ、デスクトップ型のパソコン本体は小さいものでもティッシュペーパー数個分の大きさで、それ自体は何のご利益も感じられない。付属するディスプレイやキーボード・マウスは、それがないと困るのだが。テレビ、電話機、エアコン、冷蔵庫、洗濯機など、みなそれぞれ意味があって、その形とその大きさをしている。(昔のテレビは厚さ方向の意味が納得できなかったが、最近は薄型になり納得感がある。)
もちろん技術的に言うと、あの箱の中にはCPUを中心とする電子回路が入っていて、むしろディスプレイやマウスよりずっと重要な役割をはたしている。でもユーザにとっては、置く場所に困るやっかいものにしか見えない。20年以上前に、CRAYというスーパーコンピューターがあったが、確かその本体はベンチの形をしていて、腰掛けることができた。あまりにも高価な椅子だが、ただの箱よりはましかもしれない・・・
さて、「水が低きに流れる」のと同様に、「人が使う道具は、機能に対し必要かつ十分な形状に収斂していく」という仮説が正しいとすれば、パソコン本体は消えてなくなるのではないだろうか?
何回か前のこのブログで、これからはクラウドコンピューティングの時代になりそうだと書いたが、パソコンを道具として考えたら、パソコン本体の消滅は非常に自然なながれと思える。
いつもの投稿パターンと違い、ここで技術者の立場で書くと、超高性能CPUと超高機能OSを搭載したパソコン本体を、個人が所有し維持管理する時代は終わる。そして、今のノートPCより遥かに薄くて・軽くて・電池の長持ちする“入出力部分”だけがパーソナル製品として残る。あとは高速ネットワークの向こう側にある、“クラウド”の中で計算処理してくれる。
こうなると、前回のブログで書いた「Webガジェット」との違いがわからなくなってくる。値段もたぶん今のパソコンの10分の1くらいになるだろうし。ひょっとしたら、氷河期に絶滅した恐竜のように、パソコンというマーケットが世の中から消滅する日が来るかもしれない!?




