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ICTソリューション総合誌 月刊ビジネスコミュニケーション

ビジネスコミュニケーション
第43回 イノベーションと要求工学 NTTデータ 技術開発本部 副本部長 山本修一郎

(株)NTTデータ 技術開発本部 システム科学研究所 所長 工学博士 山本修一郎

米国の音楽配信サービス「iTunesストア」が、2008年1月から2月の米国の音楽小売市場でウォールマート・ストアズを販売数量で逆転した[1]。2007年はCD販売主体のウォールマート・ストアズが首位でアップル社が2位だった。デジタル音楽の売上高は世界的に見ると全体の約15%に達したそうだ。音楽ソフト販売のIT化が進行していることが分かる。

今回はちょっと趣向を変えて、アップル社のiPodを取り上げてイノベーションと要求工学との関係を考える。

iPodはイノベーションといえるか?

広辞苑を引くと、日本ではイノベーションを技術革新という狭い意味にとられることが多いけれども、生産技術の革新や新商品の導入、新市場または新資源の開拓、新しい経営組織の導入なども含んだ景気の長期変動の起動力をなすより広い意味を持つ概念を指している。

このような広い意味からとらえると、ITを用いた新商品(サービス)の提供もITによるイノベーションの例として考えられることが分かる。確かにiPod以前にも携帯音楽再生デバイスとしてMDなどがあり、iPodが新しい市場を創出したわけではない。また、iPodが使用する技術が独創的かというとそんなこともない。まだ誰も組み立てていなかったが、iPodのビジネスの構成要素は揃っていたのである。

アップル社は、既知の構成要素を結合することでiPodによる新たな音楽ソフト販売・再生サービスを創造し、アップル・コンピュータにとっての新たな顧客を開拓したのである。

図1にiPodの累積出荷台数を示した[3]。2001年11月の発売開始から2007年4月までの約5年半で出荷台数が1億台を突破している。ソニーのウォークマンは1億台を突破するのに13年半かかった。2004年の第4四半期以降は連続で500万台以上を常に販売している。しかも四半期だけで2000万台を売ったことが2回もあることに驚く。このように見れば、iPodは間違いなくイノベーションを起こしたといえよう。

図1 iPodの出荷台数([文献3]に基づいて作成)
図1 iPodの出荷台数([文献3]に基づいて作成)

また、図1からは継続的な新商品の投入がiPodの飛躍的な成長を支えたことも分かる。

ほぼ毎年新しい世代のiPodが市場に投入されているだけでなく、姿を消したり統合されたものもある。1年ごとに新しい種が生まれて進化を遂げている生物のようなものだ。 それではもう少し具体的にiPodの歴史を見てみることにしよう。

iPodの歴史[2]~[9]

表1にiPodの主な歴史を示した。iPodといえば、携帯音楽プレーヤーだという印象が強いが、起源は音楽管理ソフトウェアとしてのiTunesにある。2000年にアップル・コンピュータが、Casady & Greeneが販売していたSound Jam MPというソフトウェアの権利を買収した。Sound Jam MPは、MP3(MPEG Audio Layer-3)で音楽作品を符号化したり再生して管理するソフトウェアだ。このときSound Jam MPの開発者のジェフ・ロビンたち3人が、アップルに移籍してSound Jam MPをベースにCD音源の読み書き・符号化・再生・管理ができるiTunesを2001年1月に発表した。MP3が使う圧縮符号化方式MPEG(Moving Picture Experts Group)の国際標準化には、安田浩東京電気大学教授ら日本のチームが大きな貢献をした。この意味では、もしMPEGがなければiTunesもなくiPodもなかったともいえる。

表1 iPodの歴史
iTunes iPod iTunesStore
2000
Sound Jam MPを買収.開発者のジェフ・ロビンがアップルに移籍    
2001
1月
iTunes 発表
デジタルハブ構想を発表
2月
携帯音楽プレイヤー市場を調査
4月
開発に着手
10月
iPod発表 11月発売 機械式ホイール
「1000 songs in your pocket」
 
2002
  7月
第2世代iPod(5/10/20GB)
タッチパネル式. Windows版iPod
 
2003
10月
iTunes for Windows発表
3日半で100万ダウンロード
4月
第3世代iPod(10/15/30GB)
FairPlayを搭載
4月
iTunes Music StoreをMacユーザーに提供
10月
Windowsユーザーに提供
2004
  1月
iPod mini発表(4GB)
7月
第4世代iPod(20/40GB) 12時間連続再生
10月
iPod photo(40/60GB)
 
2005
  1月
iPod shuffle(512MB/1GB) フラッシュメモリ
2月
iPod photo(30/60GB)低価格化
9月
iPodnano発表(2/4GB) iPod mini 販売終了
10月
第5世代iPod(30/60GB)動画再生.Podキャスト対応
8月
日本版オープン
10月
ミュージックビデオ配信
2006
  9月
第2世代iPod nano(2/4/8GB)
第2世代 iPod shuffle(1GB)
 
2007
  9月
第6世代iPod classic(80/160GB)薄型化
40時間音楽再生
 

アップルはiTunesを発表した時にデジタルハブ構想を発表している。パソコンがデジタル機器の操作を簡便にしたり、相互連携させるためのハブの役割を果たすようになるというものだ。この時点では、デジタルハブのパソコンとしてはMacだけを想定していたと思われる。今から振り返れば、デジタルハブはiTunesだったのであって、どんなパソコンでも良かったのである。だからWindowsにもiTunesが搭載できるようになった。しかもiTunesは無料で提供された。デジタルハブはパソコンでなくても良いことに気づく。デジタル機器の操作を簡便化し、相互連携させるためのハブの役割を果たすならデバイスは携帯電話でもかまわないはずだ。そういうソフトウェアの機能だけがどこかにあれば良いのである。

iTunesの発表後にアップルは携帯音楽プレーヤー市場の調査を始め、4月頃からiPod開発に着手して約半年でiPodを発表した。なぜこんなに短期間で開発できたのかといえば、既存の携帯音楽プレーヤーの技術を使って組み立てたからだ。未知の技術要素が皆無だったとはいえないかもしれないが、iTunesにおけるSound Jam MPに相当するiPodにおける携帯音楽プレーヤー技術があったからこの期間で開発できたのである。逆に言えば発売時期に合わせて、利用可能な技術と商品要求の絞り込みに成功したということだ。このときのキャッチフレーズが「1000 songs in your pocket」だ。

2003年4月に音楽配信サービスiTunes Music Store をまずMacユーザーに提供し始めた。

このときFairPlayと呼ばれる著作権管理ソフトウェアが第3世代iPodに搭載された。デジタル著作権管理技術(Digital Rights Management, DRM)も長い歴史がある。基本的にはデジタルコンテンツを暗号化しておき、解読のための鍵を管理しておくことで、デジタルコンテンツの権利をもつ人が許可されたデバイスだけで再生できるようにする仕組みだ。この仕組みも半年後の10月にはWindowsユーザーに提供されるようになった。

その後、翌年の1月にiPod miniが発表されるとヒットした。また10月になるとiPod photoが発表され、コンテンツの範囲が拡大した。

2005年にはiPod shuffleの販売を開始した。また動画再生も可能となり、2006年の映画とゲームの販売と同時にiTunes Music Storeの名称がiTunes Storeに変更された。

2007年4月には、販売開始から約5年半で出荷台数が1億台を突破し、社名もアップル社となった。パーソナルコンピュータを製造販売することから出発した会社からコンピュータの文字が消えたのである。アップル社のコア事業は、コンピュータの製造販売から音楽配信サービスに変わった。

iPodにおけるイノベーションの型

いかにもアップルらしいデザインの携帯デバイスだけに目を奪われがちだが、iPodが何を生んだかといえば既に見てきたようにコンテンツ配信サービスということになる。要素技術はどこにでもあり、誰でも知っているが事業化に成功していなかった音楽配信サービスを提供したことで、新しい顧客をアップルがこれまで一方的に獲得できたのである。

ところで、サービスイノベーションを誰のために何をどのように創造するかという観点で分類すると表2のようになる。

表2 サービスイノベーションの分類
分類 WHO(顧客) WHAT(サービス内容) HOW(手段)
従来型
既知
抽出
未知
提案型
既知
未知
未知
顧客開拓型
未知
再利用
再利用
顧客適応型
未知
未知
再利用
市場創造型
未知
未知
未知

この表では顧客、サービス内容、実現手段にわけて分類した。従来の要求工学では既知の顧客から要求を抽出してITシステムを開発していたが、これからは未知の顧客に対して新しいサービスをいかに創造していくかが重要になるだろう。この表の中でiPodを位置づけるとすると、新しい顧客を既存のサービスと技術を組み合わせて開拓した顧客開拓型といえよう。

iPodのイノベーションの基本要素[10]

ここで、iPodのイノベーションを可能とした基本要素を整理してみると、アップルがこれまでもっていた強みと新たに獲得したケイパビリティがあることが分かる。これを見るとiPodの中身は新たに獲得したケイパビリティであり、既存の強みで残っているのは、デザインや操作感など形にこだわるパッケージングの価値であることに驚く。

◆既存の強み

Macのデザインやブランドと使い易い操作性がiPodにも受け継がれている。

◆獲得したケイパビリティ

コンテンツ配信サービスを提供するためには、次の4つの基本要素を新たにアップル社は獲得する必要があった。

(1)音楽再生管理ソフトウェア

iTunes:音楽や動画の再生管理ソフトウェア。

(2)携帯型メディアプレーヤー

iPod:携帯型デジタル音楽プレーヤーで、現在 iPod classic、nano、shuffle、touchがあるが、メモリやチップなどのハードウェアには日本製や韓国製の部品も使用されている。

(3)コンテンツ配信サービス

iTunes Store:音楽配信や動画配信のためのコンテンツ配信サービス。

(4)デジタル著作権管理

Fairplay:デジタル著作権管理ソフトウェアの提供によるレコード会社の利益確保。

これらの基本要素は最初からすべて揃っていたのではなく、段階的に獲得されていったことにも注意する必要がある。イノベーションはすべての要素を揃えてからでないと始まらないのではなく、小さな変化を市場に問いかけるという試行錯誤を繰り返しながら達成されていくということが分かるのではないだろうか。

表3 アップルがiPodで獲得したケイパビリティ
ケイパビリティ 説明
音楽再生管理ソフトウェア
iTunes:音楽や動画の再生管理ソフトウェア
携帯型メディアプレーヤー
iPod:携帯型デジタル音楽プレーヤー
現在iPod classic,nano, shuffle, touchがある
コンテンツ配信サービス
iTunes Store:音楽配信や動画配信のためのコンテンツ配信サービス
デジタル著作権管理
Fairplay:デジタル著作権管理ソフトウェアの提供によるレコード会社の利益確保

イノベーションの成功要因

横断型基幹科学技術研究団体連合の報告書[11]によると、「イノベーションにおける『知の融合』は自然発生的に偶然に生まれることは少なく、あるものを実現するという強い目的意識を持って研究や技術開発をすることが、結果として『知の融合』によるイノベーションを生み出す大きなファクターとなっている」そうである。

iPodはアップル社によって、使いやすいコンテンツ配信サービスを実現するという強い目的意識の下で開発されたのであって、たまたま生まれたのではない。

また、イノベーションの成功要因として、次の3点が重要であるとしている。

◆プロセス要因

アイデア、既成概念の払拭、発想の転換など。

◆マネジメント要因

マーケティング牽引、顧客の視点重視、個人の創造性尊重など。

◆エモーショナル要因

信念、熱意、執念、不屈のリーダーシップ、ねばり強さなど。

iPodにおけるプロセス要因としては、携帯音楽プレーヤーが単独で存在するのではなく、iTunes Storeから多様なコンテンツを個人が選択して個人のコンテンツ空間をiTunesの中で構築した上で、iPodを使って自由に持ち歩いて楽しむという発想の転換があった。

iPodにおけるマネジメント要因としては、これまでに6世代ものiPodが市場投入されていることからわかるように顧客の視点重視があるだろう。低価格化、小型化や提供しないといっていた動画再生を提供したことなどからも分かる。

iPodにおけるエモーショナル要因としては、なんといってもスティーブ・ジョブスの不屈のリーダーシップであろう。普通の会社なら、コア事業をコンピュータという製造業からコンテンツ配信サービスという知識流通業に転換していく発想は思いつかないし、実行できないであろう。

「アップル社の強みとは何か?」と「i-Podを倒すにはどうしたら良いか?」の間にあるもの

この2つの質問は就職面接でアップル社が応募者にする質問と、アップル社と競合する日本企業の質問なのだそうだ[12]

競争相手が何をしているかによって、自社のやるべきことを考える日本企業と、自社がどう何をすべきかを考えるアップル社の対比があまりにも明瞭で興味深い。

自分がどうしたいのかという意思を持つ米国文化と、常に相手が何をしているかを気にする日本文化の違いとでもいうべきか?同じようなことはいろんなところで良くあることだ。

イノベーションの知

「暗黙知の次元」では、次のようなメノンのパラドックスが紹介されている[13]

「すべての研究は問題から出発しなければならない。しかし、問題に対して解答を求めることは不合理である」

なぜなら、もし問題が見えていなければ、探しているものが何かを知らないのだから解答を求めることはできない。逆に解答が見えていれば、それを改めて研究する必要はない。したがって問題は存在しない。

このパラドックスを解決するためにプラトンは「発見とは過去の経験を想い出すことなのだ」と考えた。これに対してポランニーは「隠されてはいるが、発見できるかもしれない何かについて人間がもつ内感」によって解決できると考えた。

ポランニーが言うように隠されてはいるが、発見できるかもしれない何かについての内感がアップル社にあったからこそiPodというイノベーションが起きたといえよう。

まだ見えていない要求をどのようにして発見するかという点で、イノベーションと要求工学には共通する部分が多いと思うのである。

まとめ

今回は、iPodを事例としてイノベーションと要求について紹介した。iPodを見ていると、製品がソフトウェアと一体となって継続的にかつ多面的に進化していく様子が良くわかる。


■参考文献
第59回以前は要求工学目次をご覧下さい。


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