1. 光子:量子情報の運び手

光子はその周波数が高く、外部環境との相互作用が小さいため、量子的重ね合わせ状態の破壊(デコヒーレンス)が起こりにくい。何より、超伝導や半導体のデバイスと異なり、光子はその場に留まることなく光速で移動する。この特徴を活かして、光子は従来の通信では不可能であった通信を実現する「量子通信」における量子情報の運び手として使われてきた。本稿では、NTTがこれまで行ってきた光ファイバ上の量子通信実験を紹介する。

2. 量子暗号

量子暗号とは、ハイゼンベルクの不確定性原理により、量子状態への測定は不可避的にその状態の変化を引き起こすことを利用して、原理的に第三者への漏洩が起こりえない暗号鍵を共有する仕組みのことで、量子鍵配送(QKD)ともよばれる。

NTTでは、微弱な光パルス間の位相差情報が原理的に一部しか読み出せないことを利用した差動位相シフトQKD(DPS-QKD)方式[1]を利用して、様々なQKD実験を行ってきた。

DPS-QKD方式の構成を図1に示す。送信者アリスは、位相の揃った(コヒーレントな)光パルス列に対し、位相変調器を用いて0またはπのランダムな位相変調を施した後、減衰器を用いてパルスあたりの平均の光子数が1より小さくなるように光強度を調節する。この微弱な光パルス列を、光ファイバを介して受信者ボブに送付する。ボブは、1ビット遅延干渉計と2個の光子検出器からなる測定装置を用いて受信した微弱光パルスを測定する。そもそも光子が平均して1パルスに一つも無いので、ボブはたまにしか光子を観測しないが、ある時刻tにおいて光子が光子検出器a(b)で観測されれば、その時刻における位相差は0(π)であることがわかる。ボブは光子を観測した時刻、検出器を記録し、時刻情報だけをアリスに送ることによって、2人は位相測定結果(ランダムなバイナリビット列)を共有することができる。もし外部の盗聴者が情報取得のために光ファイバ上で測定をすると、測定された光子の量子状態が変化するためアリスとボブのビット列の間に不一致(誤り)が生じる。よって、アリスとボブはテストビットを用いて定期的に光子伝送の誤り率をモニタすることにより、外部の盗聴者に漏洩する情報の上限を見積もり、それを用いてバイナリビット列に秘匿性増強と呼ばれる操作を施すことにより、最終的に暗号通信で用いられる安全鍵を生成することができる。

図1 DPS-QKDの構成(PM:位相変調器、ATT:減衰器)

NTTは、この方式に基づき、当時世界初となる200 kmファイバ上でのQKD実験を2007年に発表するなど、長距離、高速QKD実験において世界を牽引した。また、実際のファイバ網上で動作可能なQKDシステムを構築し、2010年に東京で開催されたQKDネットワーク実験に参加するなど、QKDの実用化に向けた取り組みも行っている。

3. 量子もつれ光子対

量子もつれ光子対とは、2個の光子の量子状態が、それぞれの光子の量子状態の積の形で表現できない状態を指す。このとき、一方の光子を測定すると、その測定結果が他方の光子の状態にも影響を及ぼすため、量子力学の不思議さを示す例としてしばしば取り上げられる。量子情報処理においては、量子もつれは量子テレポーテーションや量子計算のリソースとして重要な役割を果たす。NTTでは、光ファイバ上の量子通信に適した波長1.5μm帯において、光パルス間の重ね合わせ状態であるタイムビン量子ビットに基づく量子もつれ状態の発生に取り組んできた[2]

タイムビン量子もつれ光子対発生実験の概念図を図2に示す。コヒーレントな2連ポンプパルスを、2次または3次の非線形光学媒質に入力する。非線形光学媒質中では、自然放出パラメトリック下方変換(2次の媒質の場合)/自然放出四光波混合(3次)により、ポンプパルス中にある多数の光子のうち1個(2次)または2個(3次)の光子が消滅し、その光子とエネルギー保存則を満たす2個の光子が発生する。この「双子の光子」の発生は確率的な過程であり、ポンプパルスの強度によりその確率を調整できる。よって、ポンプパルスの強度を下げ、2つのポンプパルスの両方で光子対が発生する確率が十分小さくなるようにすることで、近似的に、「光子対が1番のパルスにある状態と、2番のパルスにある状態の重ね合わせ状態」、すなわちタイムビン量子もつれ光子対を発生することができる。

図2 タイムビン量子もつれ光子対発生系

NTTでは、光ファイバ、疑似位相整合ニオブ酸リチウム導波路、シリコン細線導波路などの光導波路デバイスを世界に先駆けて用いて、1.5 μm帯の量子もつれ光子対を発生することに成功した。また、量子もつれ光子対の各光子をそれぞれ150 kmの光ファイバ上を伝送させ、合計300 km分離した状態でも強い量子力学的相関が光子間に存在することを確認した[3]。これは、現在でも光ファイバ上の長距離量子もつれ配送の世界記録となっている。

4. 量子テレポーテーション

量子もつれを用いた量子情報処理の一つが、量子テレポーテーションである。90年代終わりに報告された光子を用いた量子テレポーテーション実験が、その後の量子情報ブームの先鞭になった。

量子テレポーテーションの概念図を図3に示す。アリスは自分の持っている光子の量子状態を、その光子を直接伝送することなくボブに届けたい。そこで、アリスは近所に住んでいるチャーリーに光子を持っていく。チャーリーとボブは、あらかじめ前節で説明した量子もつれ光子対の一方をそれぞれ持っている。チャーリーは自分の持っている量子もつれ光子対の一方と、アリスの光子との間の関係性を定める測定(ベル状態測定)を行う。そして、測定結果をボブに送る。ボブが測定結果に応じて定められた変換を自分の光子に施すことで、アリスの送りたい量子状態を持った光子を得ることができる。

図3 量子テレポーテーションの概念図

NTTは米国国立標準技術研究所(NIST)と共同で、100 kmの光ファイバ上の量子テレポーテーション実験を2015年に行った(光ファイバ上の量子テレポーテーションの長距離世界記録)[4]。この実験は、1960年代にテレポーテーションという言葉を世界的に有名にした米国のTVドラマ「スタートレック」の俳優ジョージ・タケイによりツイートされるなど、話題となった。
量子テレポーテーションは、量子情報を「中継」し、スケーラブルな量子通信を実現するための要素技術である。本稿で述べた技術に加え、量子状態を長時間保存できる「量子メモリ」や、1パルスの中に必ず1個の光子だけが入っている「単一光子光源」などが開発されれば、地球規模で量子技術により安全が確保された通信が実現できるかもしれない[2]

[1] 本庄、都倉、NTT技術ジャーナル 2011.6, 51.
[2] 武居、NTT技術ジャーナル 2011.6,62.
[3] 稲垣、武居、NTT技術ジャーナル 2014.6, 15.
[4] 武居、電子情報通信学会誌 99, 229 (2016).

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