1.はじめに

量子情報技術とは、量子計算、量子センシング等の例に見られるように、量子状態を制御し従来技術では到達し得ない高性能な機能を実現する技術である。ここで、量子状態を担う物理系には様々な候補があり、それぞれ長所と短所を有する。例えば、光子を用いた量子ビットは光ファイバにより長距離転送が可能なため量子通信に適しているが、単一光子を正確に発生する技術が確立しておらず大規模量子計算は難しい。

一方、超伝導量子ビットのような人工構造は集積化が可能であり大規模量子計算への応用が期待されているが、周りの環境との相互作用が強く量子状態の寿命(コヒーレンス時間)が短いという問題がある。また、天然の原子や電子は周りの環境から孤立しており量子状態の寿命が長いという特徴があるが、集積化や個々の制御が難しい。そこで、それぞれのいいとこ取りのできるハイブリッド量子システムが注目を集めている。本稿では、量子計算用の超伝導量子ビットと、そのメモリとして働くダイヤモンド中の電子集団とのハイブリッド系における量子メモリ動作の実証実験を紹介する。

2.超伝導・ダイヤモンドハイブリッド量子システム

前回の記事で紹介したように超伝導磁束量子ビットは、超伝導ループを右回りと左回りに流れる電流状態の巨視的重ね合わせ状態を実現でき、量子ビット(量子2準位系)として利用できる。超伝導ループを貫く磁場を制御すると、例えば右回り電流がエネルギーの低い安定状態|0〉、左回り電流がエネルギーの高い励起状態|1〉となる(図1)。このエネルギー差に相当する周波数(数GHz程度)のマイクロ波を照射すると超伝導量子ビットを励起することが可能となる。超伝導量子ビットのコヒーレンス時間は、ここ20年間で5桁ほど改善してきたが、近年100μs程度で頭打ちとなっている。

図1 ハイブリッド量子システム

一方、量子メモリとして利用するのはピンクダイヤモンドの色の起源となるNV中心である。NV中心とは、ダイヤモンド格子中の炭素に置換した窒素(N)と、それに隣接する炭素が抜けてできた空孔(V)からなる複合不純物欠陥である(図1)。NV中心の電子の基底状態は、ゼロ磁場分裂により、2.88 GHzの分裂を示す。この分裂は、超伝導量子ビットのエネルギースケールと一致しており、両者間の量子情報の書込み・読出し動作に適している。また、この電子状態は、低温で数秒のコヒーレンス時間を示すことが知られており、量子メモリとして有望である。さらに、NV中心の電子状態には、このマイクロ波帯の遷移に加えて、光学波長帯の遷移も存在する(図1)。将来は、超伝導量子ビットで操作するマイクロ波帯の量子情報を光学波長帯へ変換し、量子通信へと展開するための量子周波数変換素子への応用も期待できる。

3.量子メモリの実証実験

ハイブリッド系におけるメモリ動作で重要となるのは、異なる2つの物理系の間の結合強度の大きさである。何故ならば、書込み・読出しに要する時間が結合強度の逆数で決まり、強結合が実現できれば、それだけ早い動作が可能になるからである。超伝導量子ビットとNV中心の場合、お互いの距離が近いほど、またNV中心の数が多いほど結合が強くなる。

次に実験で用いた試料の作製方法を紹介する。超伝導磁束量子ビットは、シリコン基板上に、電子線描画リソグラフィーとアルミニウムの斜め蒸着を用いて作製した。一方、ダイヤモンド中のNV中心は、100 ppm近い窒素不純物を含むダイヤモンド基板に、炭素イオンを打ち込むことで欠陥を導入し、熱処理によって形成した。シリコン基板上に、表面の清浄性を保ったダイヤモンド結晶を注意深く貼り付けることで、1μm未満の基板間隔が実現可能となった。図2の写真に光の干渉縞が見えることから、基板間の距離が可視光の波長(数百nm)程度であることが分かる。また、ダイヤモンド結晶中のNV中心濃度から、超伝導量子ビット近傍には約1千万個のNV中心が存在することが推測され、空間配置とNV中心の数から結合強度は約10MHzと見積もられた。この値は、実験から得られた結合強度14MHzと非常に良い一致を示している。

図2 超伝導・ダイヤモンドハイブリッド系

量子メモリ動作を実現するためのパルス配列を図3の挿入図に示す。まず、量子ビット(演算素子)にマイクロ波を適切な時間照射し、励起状態|1〉あるいは重ね合わせ状態|0〉+|1〉を準備する。次にiSWAPパルスにより量子ビットとNV中心を30ns共鳴させることで量子状態をNV中心(メモリ)に転写する(書込む)。量子状態を時間tだけ保存した後、再びiSWAPパルスにより逆転写し(読み出し)、量子ビットの状態を測定する。図3のスイッチング確率は量子状態の再現度を表しており、保存時間tとともに量子情報が失われていく様子が分かる。実験値とシミュレーションをフィットすることにより、励起状態と重ね合わせ状態の寿命がそれぞれ、21 ns、34 nsであると求められた。

図3 (a)励起状態に対する量子メモリ動作、(b)重ね合わせ状態に対する量子メモリ動作

ここで興味深い点は、たった一つの超伝導量子ビットが1千万個ものNV中心と協調的に結合している点である。そのため、励起状態をメモリに保存している間は、どのNV中心が励起されているかは判断できず、任意のNV中心1個が励起されている状態が1千万個分重ね合わせられた状態(ディッケ状態と呼ばれる)が実現されている。

以上の実験により、超伝導量子ビットに準備した任意の量子状態をダイヤモンド結晶中の電子スピン集団に転写し保存、さらに読み出すという量子メモリ動作を実証した。

4.おわりに

これまでの実験では、電子スピン集団に保存した量子状態の寿命は短いが、今後、電子スピンの低密度化、不純物の低減、新しいスピン系の開拓等により、長寿命量子メモリの探索が可能である。更に、量子計算と量子通信を結ぶ量子周波数変換素子に進むと、長距離量子通信を可能にする量子中継器や分散量子計算の実現が期待される。

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