1.はじめに

近年のインターネットの爆発的な広がりに伴い、あらゆる「モノ」をインターネットにつなぐIoTの発展が期待されている。ここで重要となるのが「モノ」に「感覚」を与えるセンサ技術である。これまでも計測・センサ技術は、産業、医療、科学、工学等、様々な分野で手段として進歩し、各分野の発展に貢献してきた。19世紀には光学顕微鏡が導入され医学的に重要な細菌が検出され、20世紀には電子顕微鏡が開発され感染症の原因となるウイルスが発見された。現在の医療現場で病理診断に用いられるMRIは、核磁気共鳴を用いたセンサ技術の応用である。最近の重力波検出はまさに高感度センサ技術の粋を集めた結果である。

このように産業、学術のあらゆる分野において計測・センサ技術は重要な役割を担っている。これまでセンサは、半導体、有機材料、無機材料などの新しい材料開発や、LSIやMEMSに代表される半導体加工技術の高度化により高性能化してきた。今後は、近年著しく発展してきた量子情報技術と融合することにより古典限界を超えた高感度センシングの実現が期待されている。

本稿では、量子情報技術の発展にともない格段の進歩を遂げた超伝導磁束量子ビットを量子センサとして用い、局所的な電子スピン共鳴を測定する実験を紹介する。

2.量子磁場センサ

計測・センサ技術と比べ、量子情報技術は比較的新しい分野であり、1980年代に可逆的計算機として量子計算機が議論され始めた。1994年に素因数分解を効率的に解くことのできるショアのアルゴリズムが発表されると、理論・実験ともに研究が活発化した。中でも一番問題になったのは量子計算機の基本素子である量子ビットが外部からのノイズに弱く、情報を保持する時間(コヒーレンス時間)が短いという点である。しかしながら、外部からのノイズに脆弱であるという欠点は、外場に対して敏感であるというセンサの長所にもなり得る。そこで近年、量子系を量子センサに応用する試みが活発に行われている。図1に様々な量子磁場センサの感度と空間分解能を示す。センサを小型化すると空間分解能が高くなるが、磁場に対する感度が低くなるという特徴が見られる。超伝導磁束量子ビットは、感度・空間分解能ともに良く、バランスの良い素子であると言える。空間分解能の観点から細胞や固体素子の物性評価が測定対象となり得る。

図1 量子磁場センサ

3.電子スピン共鳴

電子スピン共鳴(ESR)は、物質中でペアを組まない電子(不対電子)の情報を得ることができ、材料物性、創薬、医療分野において不可欠な分析手法となりつつある。通常のESRでは、体積が数ミリリットル(mL)程度の試料を数センチメートル角の3次元共振器中に設置し、マイクロ波領域における共振器の反射特性の変化を測定する(図2(a)参照)。試料に印加する磁場を掃引すると、電子スピンの遷移周波数が変化し、この周波数がマイクロ波の周波数と一致した時に共鳴が起こり共振器の反射特性が変化する。この手法により電子スピン共鳴を観測するためには、試料中に1013個程度の電子スピンが含まれている必要がある。

一方、フランスのサクレー研究所やアメリカのプリンストン大学では、半導体チップ上に作製した2次元状の超伝導共振器を用いた高感度な局所ESRの研究が進められている(図2(b)参照)。ミリメートルサイズの2次元共振器を用いて、検出体積20 pL (pLはLの1兆分の1)、65個の電子スピンを検出できる感度を達成している。しかしながら、これら共振器を用いたESRでは、共振器の共鳴周波数近傍でのみ信号を得ることができ、広範囲な周波数領域の実験は難しい。また、共振器サイズの制約からこれ以上検出体積を小さくすることも困難である。

図2 電子スピン共鳴測定装置
 (a) 3次元共振器 (b) 2次元超伝導共振器
(c) 超伝導磁束量子ビットおよび、その読み出し用の超伝導量子干渉計(SQUID)
図3 Er:YSOのESRスペクトル  (a) 実験結果 (b) シミュレーション

4.超伝導磁束量子ビットを用いた局所ESR

超伝導磁束量子ビットや超伝導量子干渉計(SQUID)は、電子スピンの磁化を直接測定するため、測定可能な周波数領域に制限がない。すなわち、周波数と磁場の2つのパラメータを掃引しながらESRスペクトルを測定することが可能である。更に、検出体積が素子のループサイズで決まるため、共振器より微小な体積を検出可能である(図2(c)参照)。図3に光学結晶として有名なYSO結晶中のエルビウム(Er)のESRスペクトルを示す。Erの電子スピンは、核スピンとの相互作用のため複数のエネルギー準位を有することが知られている。周波数と磁場の2軸掃引を行うことで、これらの準位間の複雑な遷移を観察することに成功した。さらに、実験結果をシミュレーションすることにより、電子スピンと核スピンの相互作用パラメータを正確に見積ることに成功した。

この実験では、SQUIDを磁場センサとして用い、その情報をジョセフソン分岐増幅器により読み出すことで、検出体積0.16 pL、14000スピンを読み出す感度を達成した。その後、超伝導磁束量子ビットを利用し、検出体積0.05 pL、感度400スピンまで磁場センサの特性が改善している(図4参照)。

図4 超伝導回路を用いた局所ESR

5.おわりに

これまでに測定されてこなかった低磁場・低周波数領域の局所ESRを超伝導磁束量子ビットを用いて実現し、固体物性評価に有用であることを示した。

今後は、量子ビットと読み出し回路を改善し、単一電子スピン検出を目指す。さらに磁場センサをアレイ化し、ESRイメージングによる物性評価や生体試料の測定を進める予定である。

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